フジロックが羨ましいこと、文化に生かされていること
「暑い」「フジロック羨ましい」それだけの一日だった気がする。
フジロックに行ってどのアクトを観たいとかはないし、誰かに会いたいとかもない。でも多くのTwitterの仲間が集うその場所に、誰に会うわけでもないのに、その場にいれないのがなんとなく寂しい。会ったところで「今日ストロークスと坂本慎太郎のどっちを観ます?」「Tohji行きます?」くらいしか喋ることはないし、喋りたいわけでもないけど、なんか羨ましい。いいな。
仕方がないのでHDDの溜め込んでいた中村佳穂とU2を観てフジロックっぽさを出してました。
まだたくさんあるけど、今は欲が少し充たされたのでゲームしてる。明日からも音楽を多めにやっていこう、みたいな気持ちの今日この頃です。
こんな記事を読みました。
ツッコミどころは山ほどあるが、それはそれとして北国の30万人都市に住んでいると、買い物的な意味合いでは多少の不便を感じつつも困らないけど、美術館の展覧会については物寂しさを感じることがある。あとはライブも。それはいわゆる100万人とかその倍の街に何年か住んでいたことがあり、その時は展覧会やコンサートの機会に恵まれていたから。もちろん東京になるとさらに充実するだろうし、より大きな街ならさらに充実するだろう。その恩恵を享受できる人は存分に生かすべきだ。
では僕が今の境遇に寂しさを感じているのかと言われると、まあ多少はあるもののそうでもないというのが正直なところだ。もちろん交通上便利な場所に住んで、困らないだけのお金があればまた違うのだろうけど、すでに今の段階で手一杯だったりする。Netflixを観て、ゲームして、マンガや本を読んで、アニメ見て。ドラマ見て音楽を聴いてスポーツして。SNSを見て日々消化しきれない量の情報を食べている。
会ったことのない人の"カルチャー"を羨ましく思う夜もある。フジロックに行きたすぎて、おうちでフジロック超えを果たそうとする日もある。決して満足をしてるわけではない。僕の目の届かない場所に、何かもっとおもしろいものだってあるだろう。心震える機会を日々失いながら生きている。
でも、それでも、僕が文化を享受していないだなんて口が裂けても言えない。僕は僕の場所で文化に生かされている。文化を生み出す人にも、それを届ける人にも、良さを伝えてくれる人にも感謝している。
そんな気持ちでトラヴィス・スコットの新譜を聴いてる.今のところよくわかりません。