散歩したこと
何かをしたいと思った時、それができないと生きるのがつらくなる。その理由が他者である場合、それを理不尽だと感じる。なぜ私はこの"他者"のせいで行動を制約されるのか。パートナー、子供、親、家族、身内、仲間、友達、どうでも良い人、同僚、上司、部下などありとあらゆる人がそこに該当するだろう。
それでもほとんどの日は我慢できる。というより、我慢するほどのことでさえない。諦めているわけでもないが、状況によって願望を形作ることに慣れているのかもしれない。手軽な範囲での欲望の方が都合がいいのだ。ニューヨークに行ってビリー・アイリッシュのライブを観るより、さいたまスーパーアリーナでYOASOBIのライブを観る方がハードルが低く都合が良い。(僕はそれさえも面倒なのでWOWOWに1ヶ月入った)。もちろんそれで満たされない欲望があることは否定しない。だけどほとんどは都合よく満たされる。少なくても僕の場合は。
だけど、それでも欲望に苛まれる日が年に数日ある。そんな時は嵐が過ぎるのを待つしかない。今日がその日だった。なぜ私の生活はこんなにも制約があるのか。そのストレスが暑さとその他諸々の要因によって爆発寸前というか、局所的に噴火した。
僕は、僕がしたいことを、したい時にしたい。
たったそれだけの思いに対する抑圧がいろいろあって、もちろんそれはいつまでもそうというわけではないのだけど、一方で期限が明示されているわけでもない。中居くんがいいとものグランドフィナーレで「バラエティは、終わらないことを目指して、進むジャンルなんじゃないかなと」*1と話していたけど、それは多分わりと多くの人が、それこそ定年退職とかが決まっていない限り多分そうで。
まあ多分いろいろなストレスがそう思わせたのだと思うけど、そんなわけで散歩してきた。
散歩すると身体を動かすことに一所懸命のせいか、逆に頭がまとまって、疲れていたのかなあと思うことができた。
根本的に何かが解決したわけではないし、また発作は起こると思うけど、まあこういう病がないのもまた味気がないような気がするので、またなんとかやっていこうと思う。
という日記です。
今朝は高中正義のライブを観ました。
かっこよかったです。